京都にチャイナタウンができる?

by

in , ,

中華街.jpg
 「うわぁ、この街は長安の都だ」「なんでここに長安があるんだ!」
 観光の来日中国人が例外なく感動するのは、「京都」の街並みや「寺社仏閣」のたたずまい、さらに「京都御所」などに歩を進めると、中国の古都長安が失ったものが、京都にあるというので感動するという。
 考えてみればあたりまえのこど、1000年のむかし京都は、長安を下敷きにして築かれた都そのものだからだ。大和の国にとって新しい文化は中国にあったのだから、先人たちが長安の都にならって平安京の設計図をひいたのは極あたりまえのことだったといえよう。
 神戸には古くからチャイナタウンがある。皇蘭の豚まんや、仙翁閣の焼売にお世話になった方も多いだろう。長崎にも横浜にもチャイナタウンがある。長崎なら江山楼の特上チャンポン、お土産には蘇州林の月餅、横浜のチャイナタウンは沢山ありすぎてかけないが、学生時代は重慶飯店、中年すぎたら謝伝記のおかゆ、金鳳酒家のふかひれなどと偏ってきた。
 中国人は世界中どこへいっても自分達だけの城をきずこうとする。名古屋では民族主義の河村市長にあっさりと蹴られて失敗に終わった。
 いま着々と企んでいるのが、長安にそっくりな京都にチャイナタウンを作ろうという計画だそうだ。既に川端康成の別荘であった下鴨泉川亭は、レオパレス21によって中国の大富豪に売られた。あちこちの町家も着々と中国人にかわれていると、伝えられる。
 この中国人のチャイナタウン計画に、中華思想にも似た京都モンロー主義の人々が、どういう反応を示すか、息をひそめて見守っている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ