日本のシンクロ・チームは何故金メダルをとれないのか。
中国へいっていた井村コーチを呼び戻し、チームを再編成して世界に望んだが、成果はご覧の通り、やっぱり金はとれない。メディアは井村コーチと選手たちのスパルタ練習風景を取り上げるが、問題の本質はそこにはない。
作品の完成度がイマイチなので何度挑戦してもメダルには届かない。コーチがヒステリックに声を上げるのは、揃わない技術レベルの不揃いだが、そんなことは作品以前のことでそうした選手が出場することが問題なので、テクニツクは揃ってあたり前、レベル以前の選手は出場させてはいけないのだ。
本選当日、サイドの練習用プールでヒステリツクな声を上げるなど、卒業運動会のレベルといわれても抗弁できない。
ロシア、中国には歯が立たないが、ウクライナには勝ちたいとキャスターは騒いでいたが、観客の眼で冷静に見てみるとその差は歴然としていた。
シンクロのルールが変わり団体表現が中心になって以来、チームのテクニックは無論のこと、作品構成の巧みさやセンスが問われるようになった。ギリシャなどのドラマティックな作品、或はサーカスのピエロに託したメキシコ・チーム、アメリカ・チームのショウアップな表現、フランス風なウィットにとんだ作品、ウクライナの巧みな構成力、テクニックの見せ方、圧倒的な作品力が日本チームの上をいっていた。
スタッフ力が問われている。衣裳のセンス、振付の上手い下手が作品の品質を決定ずけている。肉体的な条件に劣る日本チームにおいては、振付の良し悪しと衣裳のセンスが決定的な要素となってくる。
まずコーチがもっと勉強しなければ駄目だ。この先は井村コーチの脳みそがどれだけインターナショナルなレベルを突き抜けることが出来るか、否かにかかっている。
衣裳のセンスも甚だしく悪い。太鼓紋をつけて原色をあしらっても一向にお洒落にならない。白黒だけのジオメトリックなウクライナの衣裳などをみても刺激されないというあたり、センスの悪さに絶望する。
日本のシンクロはスタッフの勉強にすべてがかかつている。選手を怒鳴るまえに自分を怒鳴れ!!!
井村シンクロのセンスの悪さ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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