井上洋介、最後の絵本。が送られてきた。
長い人生のなかで子供のための絵本は買ったことがない。なかにはそうでない絵本もあるが、おおかたは彩りゆたかなお伽噺のようなものが多かった。彩りゆたかというのが大変にくせもので、子供はこんな色の世界で暮らしてください、と大人が一方的に押し付けているような気分になるのだ。子供相手の仕事をしているので、とても純で透明感のある大人だと思っていたら、どっこい裏切られたという経験もある。
そんなこんなでお礼の電話を、令嬢の真樹ちゃんに掛け、子供に媚びた絵本は嫌いだと放言し、子供目当てでもう一つ嫌いなものがある、と言いかけたら「実は父は生前、ヨミキカセが大嫌いだったのよ」と先回りされてしまった。
「子供の為の読みきかせ」などというポスターをまま見かける。そのうえ「美しい日本語による読み聞かせ」などとあるとムシズがはしる。この上から目線のポスターは許せない。ヨミキカセという日本語は文化的差別用語だ、聞かせるほど貴女は偉いのか、あなたの言葉は少しも美しくないのに、なぜ「美しい日本語による」などと自画自賛できるのか。少しばかりアナウンサー商売をし、アクセントとアーティキュレーションが優れているからと言って美しい日本語だと思ったら大間違いだ。
トークマシーンのような血の通わない日本語は死んだ言葉であり、美しくない日本語なのだ。もっと心に寄り添った人間の言葉でなければ美しい日本語とはいえない。
その証拠に文化人や芸人のしゃべるトーク・ショウは魅力はあるが、アナウンサーのしゃべるトークは、全く人を引き付けない。人間不在のトークマシーンだからだ。年月を重ね、アナウンサーから人間に脱皮した先輩たちのおしゃべりなら、大いに魅力的である。
井上洋介最後の絵本は「ホウホウフクロウ」、全編荒々しい墨線でフクロウが描かれている。
うたうフクロウ、ふわりととんだフクロウ、みているフクロウ、せみも、とんぼも、みみずくも登場するが、どれも皆荒々しい墨線で描かれている。子供のカラフルな世界に一切妥協せず、子供を挑発しているようにもみえる。
こどもの絵本に名をかりた「オトナのアートブック」だった。
うっかり絵本という活字に騙されるところだった。
井上洋介最後の絵本、大人のための。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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