ラスベガスにMGMがホテルを作る、という報に接し、ならばとばかりベガスに出掛けて何十年もたった。
ハリウッド映画の栄光をそのままに、ロビーもカジノも客室もかってMGMが製作した映画のスチールやスター達のブロマイドが飾られていた。ショッピング・アーケードには映画で使われたドレスや小道具なども売られていて映画好きの好奇心をゆさぶられた。
アカデミー賞歴代のプログラムを手に入れ、お宝よろしくトランクにいれて帰国したことを思い出す。
あのMGMグランドがボクシングの聖地になっているとは知らなかった。
日本のバンタム級井上尚弥が見事挑戦者ジェイソン・マロニーを退け、王者として14連勝をなしとげた。井上はバンタム級歴代のチャンピオンのなかでも最強といわれ、恐らく日本の伝説的ボクサーになるだろうといわれている。
ベガスのリンクは無観客であったにもかかわらず、ネオンや照明、映像で充実した環境を演出していたあたり、アメリカのこうしたエンターテイメント制作能力の高さも充分に伝わってきた。
ストリップにある多くのホテルのスポーツ・バーはさぞ盛り上がったことだろう。
数十台の巨大モニターにかこまれたカジノバーは、コロナの時代に適応したかの如く1人1人が囲われ、好きなスポーツを選んでひがな一日勝者に賭けていられる。
野球、サッカー、テニス、フットボール、陸上、水泳、格闘技、無論ボクシングもあらゆるスポーツが賭けの対象だ。ラスベガスでは小粋なショウを上演していたラウンジ・シアターが、ある時を境にスポーツカジノのためのバーになった。
ラスベガスにはショーを見にいっていた筆者にとって悲しい出来事だつたが、カジノ好きの人達にとってはこの上なく喜ばしいことだったろう。 井上尚弥に興奮して金を賭けているアメリカ野郎の顔が小気味いい。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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