五輪開会式の堕落

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 今回の東京2020ほど次々と問題を起こしたオリンピックは史上始めてではなかろうか。関係者はご苦労なことだったが、総括しておくべきことも重要と考え書くことにした。
 ❶新国立競技場設計問題❷大会エンブレム盗作問題❸小池都知事会場見直し行脚❹ボランティア制服不評❺竹田会長贈賄疑惑❻桜田五輪相ガッカリ発言❼五輪チケット不正購入疑惑❽コロナ一年延期開催❾熱暑マラソン開催地変更➓森会長女性認識発言⓫橋本新会長過去不適切行動⓬電通のCM屋プロデューサー佐々木宏による肥満容姿卑下⓭聖火リレー辞退続出⓮池江選手バッシング騒動⓯高橋参与さざなみ発言⓰野村万斎演出チーム空中分解⓱小山田圭吾開会式作曲辞任⓲開会式直前総合プロデューサーお笑い芸人小林賢太郎解任騒動 等々、五輪担当大臣、組織委員会会長、東京都知事、女性三人の揃い踏み五輪だったが、現場はすべて代理店まかせの無責任体制だったことがばれ、開会式直前まで辞任・解任騒動の嵐にみまわれるという醜態をさらした。
 無知な一部の海外メディアには評判がよかったが、心配していた専門家からは悪評嘖々の開会式だった。
 
 結論からいえば、統一感なきバラバラの開会式だった。
 まず呆れたのはゲーム音楽の入場行進、イギリスでは教育上良くないという理由から、子供たちのゲームを禁止している現実、を知らない無知な音楽スタッフ、ゲーム屋の宣伝行進よろしく世界のアスリートを迎えるという恥さらし、あとの音楽はボレロに差し替えられていたが、常識のなさにとにかく驚いた。共に呆れたのは、参加国の表示プラカードが「漫画の吹き出し」のなかに書かれていたことだ。国際儀礼上も考えられないことだし、あの国名表示に組織委員会から苦情がでなかったという現実にも驚いた。
 宝塚のスターを中心にすえた大工チームの振付も意味不明、児童劇団の芝居にもおとる狂言回しのマイム、ピクトグラムをいちいち説明するヒロポンという芸人の形態模写、劇団ひとりの楽屋落ち映像、暫の自己満足のコスプレ、ドローンによるマークから地球への変化など、見事に見せきった部分もあったが、実は世界の局地戦争では、あのドローンこそが小型ミサイルを使った殲滅作戦の先端無人兵器だということへの、認識が全くない恐ろしさを感じた。
 福島の復興五輪オリンピック開会式のクライマックスに、無人先端兵器によるデモンストレーションが登場するとは、演出の無知、それのプロデュースを請け負った電通の知性の無さ、哲学の無さが、顕わになったとんでもないイベントだった。
 元石原慎太郎知事がオリンピック招致を思いついたのは、東京都の赤字財政の立て直し、予算の潤沢さをとりもどした時、それを有意義に使いたい為だった。それが小池百合子の無駄遣いによって、スカンピンになり、更に武漢コロナの襲来によって開催延期に追い込まれ、遂に無観客となって、この後予算の責任問題が発生することは必然、野党はそれ見たことかと菅内閣の責任にすり替えて、大騒ぎすることだろう。
 いつからこの国はこんな情けない国になったのか、残念でならない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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