お茶お花の家元たちがいる。日本舞踊界のそうそうたる家元が揃っている。勿論県知事、市長など行政府の方々も列席している。その日の都ホテルの大ホールは、京都のいや日本の文化人のそろい踏みだった。
「五世井上八千代の人間国宝指定を祝う会」まだ59才の五世井上八千代が、人間国宝となった。
ごく当たり前に考えれば、井上流の家元である井上八千代だけが、なぜそんなに早く人間国宝になるのか不思議なことだ。まして井上流は祇園甲部内だけの舞の流派であって、外の流派のごとく全国規模の流派ではない。名取になっても、祇園町のそとで稽古場を持つことは許されない。お名取になっても舞のお師匠さんにはなれない。
300メートル四方の狭い地域に伝承されている小さな流派なのだ。御所の御殿舞に源流を発し、その後、人形浄瑠璃や能楽の影響のもとに今日まで伝承されてきた希少価値のある座敷舞であることこそが、早期に人間国宝の指定を受けた理由だろう。
京都東山新門前通りにある片山家は、ほかに例を見ない文化集積のお家だ。すでに故人となられた四世井上八千代は戦後いち早く人間国宝となられた。その息子である片山九郎右衛門は能楽界の元老としてやはり人間国宝であった。そして今日の五世井上八千代の人間国宝指定。ひとつ屋根のもとで3人の人間国宝とは、文化の都である京都でも他に例をみない貴重な文化伝承のお家だ。
この夜、祇園甲部の芸舞妓は全員宴のお手伝いで、手打ちをしたり、お酒のお手伝いで、ご苦労様なこと。
知らずに祇園町へ繰り出した旦那衆にはまことに気の毒なことだった。
五世井上八千代人間国宝の祝い
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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