二枚目大根役者の系譜

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 二枚目の役者はおおむね大根役者と決まっている。それが二枚目の伝統というものである。
 戦後3代の二枚目役者について考えてみた。
 先ず戦後二枚目スターの走りはなんといっても「池部良」。身長178cm 立教大学をでて知的なイメージのスマートな役者だった。
 映画の代表作に青い山脈、坊ちゃん、現代人、雪国などがあるが、演技はけっして巧いとはいえず、そのほとんどが柄だけで勝負する二枚目スターそのものだった。
 父は風俗漫画家の池部釣、母は岡本一平の妹で、従姪は安倍昭恵につながる。日本映画俳優協会初代理事長をつとめたが、自身「芝居の下手な二枚目が必要なときは是非私に…」といっていた。二枚目に生まれついたが、いつも大根役者の自覚があり、好感のもてた役者だった。
 178cmの身長をそっくり受け継いだ二枚目スターが「石原裕次郎」だった。放蕩の限りをつくし、兄慎太郎の庇護のもとスター街道をあるいた。足の長さでは戦後第一といわれ、良家の育ちを感じさせながらの不良性と甘いマスクが満天下の子女を酔わせた。賢妻北原三枝さんにも助けられ、筆者もドラマでいっしよの仕事をしたが、ドラマの分かる取巻きに恵まれずいい仕事はできなかった。
 映画では狂った果実、錆びたナイフ、赤い波止場、嵐をよぶ男などあったが、演技的に取り上げるべき作品はなかったし、テレビに転じて後も西部警察などまんなかで報告を受けるだけでみずからすすんでの汚れ役はなかった。結局残したのはスキーやヨットの怪我、正月をハワイで過ごす芸能人のイメージ、とそれに石原プロの炊出しだけだった。
 三人目は極めつけ、なにをやってもキムタクの「木村拓哉」である。アイドル出なので、池部や石原のごとき人間くささに欠ける奥行のない二枚目になっている。好きな男ランキングではいつも首位にあって人気抜群なのだが、普段の表情もかわらず喜怒哀楽の感情に欠ける典型的なアイドル顔がとにかくつまらない。長い間アイドルをしているとこうなりますよ、といった代表的なつまらない顔つきなのだ。
 作品にはHERO、武士の一分、マスカレードホテル、テレビではロング・バケーション等あるが、才能があって素晴らしいというキムタク派と、なにをやってもキムタクだから取り上げるほどでもないというアンチに別れる。内面をもっと充実させないと二枚目馬鹿におちいるだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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