「予期せぬ妊娠」に関する相談を県がやっていると聞いて衝撃をうけた。
近頃はそんなことまで県がやるのか。県政というのはもう少し大局にたって、国との折衝やら、町村では調整のきかない事象について働くのが、県政というものではないか。かって仕事の範囲、仕事の分掌についてはしっかりとしたラインがひかれ、同時にそこに発生する責任をともなうのが、働き方の基本だった。
もっとも国会議員が、桜を見る会を追及したり、シュレッターを見学したり、前夜のホテルの視察にかまけて重箱の隅をほじくるような日々では仕事の範囲が混乱しても、けだし当然かもしれない。天下国家の大事を捨て、国家経済の振興案も考えず、中国、北朝鮮による危機があっても思考停止状態では、なんのための国会議員かまったくわからない。
反対、反対、すべては安倍のセイダーズでは、国民が呆れ、まず働き方改革は野党からして欲しい、と願うのもけだし当然だろう。
そうした政治の品格のなさをまえに、「予期せぬ妊娠」について県に相談する呆れた男女県民が増殖しても仕方ないのかもしれない。人間として覚悟をもって性と向かい合うことは、小学校のときから教えてこなかったのか。性教育など及びもつかなかった我々世代でも、結果についての責任は本人が負ったし、本人が負いきれない時は親ともども責任をとっていた。
県にまで相談にいくそんな大馬鹿野郎はいなかったし、県もそんなことまで介入しなかった。個人の問題はとことん個人の問題として処理したのが社会のルールだった。
県は「すくなくない数の人が悩みを抱え込んでおり、必要な事業」といっているが、そんなところに回す職員がいたら、千曲川の泥さらいをさせたほうが、よほど公益にあっている。
「妊娠したかもしれないがどうすればいいか」……病院へ行きなさい。それで終り。それ以上の相談は過剰サービスである。
予期せぬ妊娠
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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