乱れた茶席の都をどり

by

in

 今年も都をどりの季節がきた。桜の便りと共に京都に心が飛ぶ。
 明治5年から、第二次世界大戦のため6年の休演をはさんで、141回に及ぶ京都祇園町の都をどりだ。
 ショウ構成は偉大なるマンネリズムで、「ミヤコオドリワー…ヨーイヤサア」序の置歌から、その年の恵方にある寺社を背景にした群舞、そして中挟と言われるプロダクション・ナンバー…今年は、小野小町、安珍清姫、そして鶴の恩返し…と昔話からのコンテンツで、終章はご自慢のお決まり桜の景で、今年は御室桜のフィナーレ。外人さんも、観光客も、ご贔屓すじもやんやの喝采を送るジャパニーズ・チェリー・ダンスである。
 マンネリズムもここまでくると見事な伝統になって、作り手、踊り手、観客、三位一体の娯楽になっている。
 緊張のあまりカチカチになっている舞妓さん、女盛りの芸妓さんはゆとりの目線で客席を呑み、ベテランのお局衆は貫禄の舞姿と、10代から60代までの女の一生が舞台に展開する。
 中庭には見事に桜が咲く祇園町の歌舞練場、江戸の劇場様式を保っている珍しい小屋で、芸能と民衆の今昔が生きている稀有な例と言えよう。
 開演前にはお茶席の接待があり、芸妓さんの点前があるのだが、このお運びがいただけない。舞妓の控えは前列の大切なお客さんへのお運びだけ、大部分の客にはアルバイトの着物姿の女子がかげ出しをするのだが、その乱雑さには呆れる。まず歩き方がひどい。バタバタとジーパンの歩きでキモノを着ていても着物がない、近頃の街角の女たちそのもの、菓子のおきかたも花見茶屋以下、客は気分を改めて座っているのだが、お茶の出し方もぜんぜんできていない。スピード第一で客の顔も見ずに茶碗を引き取る。あんなに心のない茶席はやらない方がいい、初めて京都へ来た外人もびつくりの不作法なのだ。今のままでは祇園の看板が泣く。
 祇園のお茶は裏千家が指導しているが、かげ出しの女の子もしっかりと指導してほしい。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ