道路790か所、橋20超被害、死者32名、九州北部豪雨被害について、もっぱら地球温暖化による異常気象が原因である、とメディアは報じている。テレビでは氾濫して土手を超え市街地に流れ込む泥だらけの流れや、橋桁に引っかかって間もなく橋ごと流される流木の山を映し、その後は自衛隊の災害出動でこのニュースは完結している。
がそれで良いのだろうか。政治はながい間、二酸化炭素の削減のため、3兆円という莫大な予算を投入してきた。日本の二酸化炭素排出量はわずか3.9パーセント、アメリカや中国の参加しない二酸化炭素排出規制はまったく無意味であり、予算の無駄使いであるにもかかわらず。
二酸化炭素にばかり予算をつかつてきたのは、反日メディアと環境学者、環境運動家、そして林野庁や環境庁の役人仕事だったのではないか。
そのため治水はすみに追いやられ、僅か二酸化炭素対策の100分の一にも満たない予算でごまかしてきた。
江戸時代までの日本の殿様はいかに治水、灌漑事業をやるかに意を注いできた。民を治めるのは水を治めることだった。水を治めれば、田畑を潤し、民家を守り、国土を豊潤にできた。
最近では治水というのは、ダムを造ることのようにおもわれているが、実はそうではない。絶えず浚渫をして川の流量を増やす。あちこちに遊水地をつくり、旱魃や豪雨にそなえる。
さらに重要なのは、適正な植林をするということだ。川上には落葉する樹林帯をつくり、山の保水力をあげる。手っ取り早く儲かる杉や桧ばかり植えた戦後の植林事業の失敗が、こんどの北九州災害なのだ。植林が間違わなければ、何十人もの犠牲者を出さずにすんだかもしれない。紙のリサイクル運動やワリバシ反対運動が結局森を死なせ、同胞を死においこんだのだ。
アメダスを沢山つくることではなく、そのひまがあったら治水、灌漑に金を使ってほしい。
九州豪雨災害は人災である
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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