祇園甲部の秋の恒例温習会にいつてきた。
新しく耐震工事のできた甲部歌舞練場での今年の都をどりには出席できなかったので、7年ぶりの歌舞練場である。
7年かけて新しくしたという痕跡は素人眼には全く判らない。昔ながらの花街の劇場であり、いかにも芸舞妓のための劇場空間である。
つなぎ団子の印のはいった赤い提灯が、ずらりと並んでいる限りこの町の芸のためにある劇場であり、歴史的な小屋であることがゆったりとタイムカプセルのように観客の気分に染み込んでいく。こんな気分は東京の劇場では味わえない。
インバウンドの外人たちが、まず祇園という異空間に押し寄せるのもけだし当然。西欧式の縦長舞台にない座敷舞のための横長のプロセアムでまず、ここはまぎれもなく日本という異界であることを体感する。
芸舞妓たちの芸道精進のしるしを披露するのがこの秋の一週間の「温習会」である。
観客は祇園を愛するお客さん、芸舞妓のご贔屓、あるいは井上流の舞に興味のある他流のお師匠さん等々……。春の観光客中心の「都をどり」とは全く異なる落ち着いた空気が流れている。
幕開きは舞妓さんたちの「太鼓おどり」、可愛い団扇太鼓をもって「三崎踊りは…」と始まるところをみれば、民族芸能からの出典で忠臣蔵の下座歌になったと思われる。今の若い人たちはリズム感がいいので持ち替えの綾竹にかわっても違和感なく楽しめた。
鐘ケ岬、近江八景、から義太夫の「妹背山恋道行」、井上流ならではの人形振などはいって楽しめた。折から国立劇場の建替えのための最終公演に菊之助の「妹背山」がでるが、求女の照豊とお三輪の豆千鶴のからみなどは、さすが祇園の看板にふさわしく緊張感のあるいい舞だった。そして鶴亀の祝舞から長唄「秋の色種」せっかくのはんなりとした振りに、歌の音量が大きく効果や三味線とのバランスに欠け残念だった。スタッフの耳ももう少し新しくなって欲しい。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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