「発熱するニューヨークの自然」と題して久しぶりの写真展を開いた。
3.11直後ニューヨークにいつて、9.11以降の街の表情とニューヨーカーの今を撮影してきた。3000カツトばかりから60点をえらんで、軽井沢駅構内にあるホールで展示している。
200年前にできたブルツクリン橋と向かい合って、やはりこの橋はモノクロでなければと確信し、9.11以後の建築はすべてシロクロで記録した。イースター・サンデーの人々、クリストファーのゲイ、原色のパブリック・アートはカラーで撮影した。あらためてシロクロ世界の味に惚れた。色彩がないために造形がハダカで浮かぶ。色彩のニゴリを改めて認識した。モノクロの光と影には曖昧さがない。鋭利で無駄なく描写してくれる。キレコミのあるダイナミックな写真ができる。
思い出した。シロクロテレビがカラーテレビになつて、ものみなあまりにも綺麗に写るので、テレビというメディアに絶望しテレビ局から脱走したのだ。これでは表現メディアにならない。所詮テレビは伝達メディアに堕し、残されたのはスポーツとニュースだけだ、と当時ドラマ作りにこっていたので、さっさと辞表をかき、テレビ局をやめた。
あの時のカラーへの嫌悪感がニューヨークでよみがえった。カラーはだるく、緊張感がない。イースターに浮かれているオカマをうつすにはいいが、硬質な形をきりとるには全く不都合なメディアであるということが、40年ぶりに思い出された。カラーフォトは厚化粧のオミズのようなものだ。そんなモノクロ写真はおおかたの来場者の興味をつなぎとめたようだ。地デジという大きなカラー画面の洗礼を毎日うけ、カラーに食傷していたときのシロクロ写真が新鮮にうつったのだろう。8月16日まで一週間の写真展、いまのニューヨークに興味のある方ぜひ覗いてほしい。
久しぶりの写真展
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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