丸田恭子さんに会えた!

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 信濃毎日新聞社主催の文化・芸術パーテイにお招きを受け行ってきた。
 普段なにかとお世話になっている出版部長の山口恵子さん、ラブソング・アワードの小林事業部長、吉川局長、そして編集局長の渡辺重久さん、主筆の中馬清福さん…いつもは難しい顔をして仕事をしていらっしゃる皆さんとオフ会ののりで言葉を交わせるのが嬉しい。
 駒ヶ根高原美術館の名物松井君子さんも重い体を連れて元気に現れた。田中本家博物館の田中宏和さんと旧知の仲と聞いて驚いた。
 なかでも一番嬉しかったのは画家の丸田恭子さんに会えたことだ。数年前信毎文化欄で100回を超えて連載された、「風土と哲学」日本民衆思想の基底へ…と題した内山節さんの比較文化論があった。地方誌ならではの優れて興味深い内容で都市と農村の断層をえぐりとつた文化論だった。そこにいつも挿絵ならぬ対画として登場したのが丸田恭子さんのドローイングである。
 太い線、細い線、直線、曲線、厚い線、薄い線などが不意に現れる。予期しない軌跡を描き、不整脈の如くにわがままにダイナミックな波動を放ちながら、画面を切り取っていく。色彩は極端に抑えられ、白、黒、の中にたまにブルー、まれにイェローが通り過ぎる。そこにある螺旋はファッションのようでもあり、矛盾を取り込んで波動する生命体のようでもある。薬科大学を卒業後、ニューヨークで現代美術家になつた彼女の作品はずっと気になつていた。その丸田恭子さんが眼のまえにいた。
理知と硬質な感性の画家は、美しいアラフォーの女性だった。いつかアクリルのチャコールペンシルで描かれたドローイングをデスクの横に飾りたいと思っている。


コメント

1件のフィードバック

  1. いやー、ブログにこんな風に書いていただいて恐縮してしまいます。こちらこそ星野さんにお会いできてうれしかったです!
    ほんと、またいろいろ交流できたらと思います。どうぞよろしく
    お願い致します!

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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