あの頃、三鷹に住んでいらした。作曲の打合せになんどか伺ったことがある。
「今日は家内は外出しているので…」そう言いながら先生がお茶を出してくださる。
あとで夫人にお聞きしたところ、「あたしは所用で出ていたわけではないのよ。先生が作曲に集中するときは、なるべく外へでて邪魔をしないようにしていたの。ああゆう繊細な人だから、私が家にいて少しでも音をたてたりすると気が散るでしょ。だから外出していたの。」作曲家の奥さんも大変だな、と思いを巡らせたものだ。
後に六本木に仕事場を移された。窓のそとには桜が咲き、グランドピアノの置かれた作曲部屋と寝室があった。五線紙に書き入れていた手を休め、「丁度良かった。少しお腹が空いてきたから…一緒に食べましょう。これが僕大好きでね。」といって自ら神戸屋のミートパイをチンしてくださった。
喜直先生が逝って13年がたつ。作曲家は星の数ほどいるが、日本の作曲家で琴線にふれるメロディを書かれたのは、山田耕筰と中田喜直しかいなかったと思う。中田メロディはどこまでいっても心優しい。日本語の韻律を大事にし、詩のこころと正面から向かい合った。
先生の教え子のマドンナであった中田幸子夫人が、喜直先生へのオマージュとして水芭蕉忌コンサートを始めて12回を重ねた。中田喜直を知り尽くした幸子夫人の指揮は、十二分に心優しいハーモニーを響かせてくれる。芦田淳のドレスに身を包んで指揮をする彼女の背に、小さな光が瞬いていた。
中田喜直へのオマージュ
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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