中国人団体旅行にみる日本人の恥

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 眼の前の婦人がタッパーをだして、ケーキを詰めだした。
 一瞬、なにが起きたのか判らなかったが、その婦人はタッパーに十個のアップル・パイをごく当たり前の如くに詰めてテーブルに戻って行った。美味しそうなアップル・パイに惹かれ筆者もデザートにと立っていたのだが、婦人のうしろでおとなしく待っていたため、大きな銀盆からアップル・パイはすべて消えていた。
 今すぐご用意しますのでと、ホテルのボーイは奥へ小走りにいったが、こうしたことは日常茶飯のことなのか、たいして驚いた風でもなかった。
 ここは札幌グランドホテルのレストラン、朝食のバイキングがとても美味いと評判のホテルだ。
 広い朝食バイキングの中央はガラスで区切られ、どうやら中国からのお客様はそこに案内されていた。おしゃべりのレベルが高く、ほかのお客様から苦情が出かねないので、ガラスでレストランの真ん中に隔離されたVIP席を造ったのだろう。ホテルの知恵に感心した。入れられた客は中央に陣取って上客の気分を味わい、周りの客は五月蠅い中国人が隔離されて、静粛な食事を楽しめる。
 中国のお客様が急速に増えて有難いのですが、バイキングではお気にいられた料理を根こそぎお持ち帰りになるので、少しばかり困っております、とのことだった。デザートのケーキのみならず、お皿もフォークも、部屋の備品もアメニティも根こそぎなくなるのが、中国のお客様の特徴だという。
 戦後の一時期、日本人も海外で嫌われたことがあった。ナイフとフォークが使えない。洋式便器の前後が判らない。アンアンの特集頁をかざして、フブサントノーレの宝飾店に殺到する。ネクタイを端から端まで数百本買う政治家、農協パックのフィリッピン買春ツアー、……
 人のふり見て我が振り直せ、なんともつらい中国人ツアーなのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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