アパレルの名門レナウンが倒産した。
今では当たり前になったデパートでのブランド販売を戦後いち早く実現したのがレナウンだった。
新宿の伊勢丹に初めてレナウンだけの販売コーナーが出来たというのは、当時のファッション業界では異例中の異例だった。それほど当時のレナウンは先進的なイメージをもっていた。 そのレナウンが、倒産するとは悲しい出来事である。
新聞報道をよく読んでみると、売上高の半分以上をしめるデパートでの販売高が近年落ち込んでいる処に、数年前に選んだ増資先に中国資本を選んだという決定的な誤りを犯していた。
中国市場の規模の大きさに眼がくらんで、中国進出を試みる日本のビジネスは多いが、いざ困った時に中国市場の売上げを宛てにするととんでもないことになる。
中国市場での利益は絶対に海外へ出さないという火事場泥棒のようなことをするのだ。
今回のレナウン倒産でも中国繊維大手、山東如意科技集団からの売掛金がいっさい回収できずに倒産に至ったのだ。
中国資本と中国市場のすべてを清算しないかぎり、レナウンの再生はありえない。目先の金に眼がくらんでふたたび中国資本に飛びつけば、確実に中国化するしかない。
日本の財界人には中国信者が多いが、結局は中国共産党の一帯一路に組み込まれてしまうという現実を理解できていないのだ。
中国の奸計に落ち込む前に、日本の事業として日本が努力しなければならない。次次と中国の罠にはまっていくことのないよう政府も手を打つべきだろう。
地上波テレビにおいてヒットCM第一号だったレナウンのワンサカ娘を思い出した。
”ドライヴ・ウェイに春がくりゃ イェイイェイイェイ …… プールサイドに夏がくりゃ イェイイェイイェイ …… レナウン レナウン レナウン娘が お洒落でシックな イェイイェイイェイェイ ……
あのCMにでていたモデルの陸麗明はいまどうしていることだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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