三高から三低へ

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 それいけやれいけのあのバブル期、若い女性たちが男性に求める条件は「三高」だった。高学歴・高収入・高身長この三つが備わってなかったら、恋人にはなれず、ましてや結婚相手として認められなかった。
 バブルが崩壊し、長いトンネルを抜けた途端に再びリーマン・ショックにみまわれた今、女性たちの意識はすっかり変ってしまった。「三高」がもてはやされたのも束の間、昨今の条件は「三低」だという。すなわち低姿勢・低リスク・低依存…「低姿勢」は女性を尊重し、女性を大切にしてくれる意識と行動、「低リスク」は今だけのアブク銭ではないたとえ少なくとも安定的な収入のある職業についていること、「低依存」はお互いの生活を束縛しない対等の関係を築けることだそうだ。ここでは男の明日も、甲斐性もまったく否定され、控えめに静かに邪魔をしないで、私のうしろに就いておいでと言われているも同然。女権の強さ、母性のたくましさが前面にでている。男と女の性的関係もまったく逆転し、命令し要求する女と、顔色を伺い奉仕する男の哀れな景色が見える。「ヤッタ!」といういささか下品な言葉も、いまや女性専用語になってしまった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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