「自分は絶対に間違わないという傲慢と、媚のちぐはぐさは、この国の高学歴女性にみられる幼稚な全能感である。」と書いたのは北原みのりである。
六本木ヒルズの自宅、永田町のオフィス、そして軽井沢の別荘と絵にかいたような低俗な価値観を追っかけ、わずか七か月の転落物語を演じて見せたのは、三浦瑠璃という自称国際政治学者だつた。シャンパングラスを手に軽井沢のテラスでポーズしてみせた彼女には虚栄心のかたまりしか存在しなかった。
安倍さんの葬式にシースルーのドレスで参列したとき、カメラが集まり注目された喜びは大満足だったに違いない。
東大で学んだ筈の彼女には、内面の価値観より他人に見せる外観がたいせつな、プライドに溺れた可哀そうな女性だった。
尊敬する人物に彼女が挙げたのは、橋下徹、石破茂、辻元清美 いずれも怪しい影のあるエセセイジカばかり、「日本に絶望している人の政治入門」という彼女の著作に騙された善良な日本人はたくさんいた。
軽井沢在住の学者には、もうひとり困った人がいる。
静岡県知事川勝平太である。この人ぐらい平気で嘘をつく学者をしらない。県議会では再三再四嘘をつく。給与を返上します、といって返上しない、ばれると再度思考の結果、返上しないことにきめた。
中央新幹線では、隣の県の地下水が静岡に流れなくなるから反対、絶対許可できないと、大地下を少しばかり通るリニアの妨害をしつづけている。
軽井沢にはもうひとり変わった学者がいた。田島陽子である。言葉の使い方をしらない。尊大な物言いは常識欠落者としかおもえない。
町内のスーパーでその変人ぶりに評判がたつのは、だいたいそうしたエセ学者が多い。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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