三宅久之さんからの手紙

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 最近は気力 知力 体力ともに衰えが著しく老醜をさらす前に自ら幕を下ろすことを決意したものでございます。…断腸の思いでございますが「進退は潔く」というのが小生のモットーで…云々。
 三宅久之さんからお手紙をいただいた。政治評論家のなかで、もっとも敬愛する真正保守の方だ。これからはお好きなスーパードライをのみながら、軽井沢の夏を楽しみ、万年ボケの政治へはたまさかのご意見番をつとめていただきたい、と願っている。
 さて三宅さんが好きな理由がいくつかある。
 ①皇室は男系を維持すべきだ。  ②選挙に立つことを薦められたが拒否した。 
 ③田嶋陽子が嫌いだ。(タレント議員としてのいい加減さが目立ち国会議員としては落第者である。)
 ④田原総一朗が嫌いだ。(司会であるにもかかわらず、自分の意見を振り回し、異なる発言を否定し、都合が悪くなると「ハイ、ここでCM」司会者の分をわきまえていない。) 
 ⑤たかじん、辛坊治郎が、視聴率の話を振る と「そんなものは天下の一大事ではない。」と切って捨 て、テレビ・ニュースの内容がグルメや下世話な芸能ネタばかりの点をつき「あれのどこがニュースだ。」と激しく批判した。
 ⑥芥川賞「蛇とピアス」とんでもない作品だ。賞をとったというだけで買っている馬鹿がいる。
 テレビ芸者のような自称評論家の多いなかで、立ち位置がぶれず、いつも明解に発言する三宅久之さんが抜けると、はてそのポジションには誰が? という不安はあるが、三宅さんの人生観、死生観に敬意を表して、長い間お疲れ様でした、というほかない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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