一番江戸にちかい東京の祭り……といえば「おとりさま」である。
この日深夜12時の一番太鼓とともに江戸っ子は浅草鷲神社に詰めかける。そんなに広くない境内は縁起熊手の小屋で埋め尽くされ、あちこちから景気のいい手拍子がきこえてくる。江戸のいなせとは音にしたらこういう風な響きだろう。「御手を拝借、おめでとうこざいます。よおっ! …… 」熊手に神恩を移し、客に感謝と開運を願って店のもの一同が手拍子を捧げる。そこここで競うように手拍子が響く。大川のひがし、江戸川あたりからの熊手屋さんが大小さまざまの熊手を店いっぱいに飾り付け、壱年にいちどの客の訪れを待つ。毎年すこしずつ熊手は大きくしていかないと縁起が尽きるというので客も頑張って大きな熊手を求める。
江戸のころは実際の熊手にオカメさんと四手をつけていたそうだが、いつのまにか熊手も多様化し、華やかになって今日をむかえている。
天の岩戸を開いた神様を祭っているのが鷲神社なので、岩戸開きに因んだ神恩神徳を頼って、開運・授福・殖産・除災・商売繁盛と江戸っ子の願いを聞き入れてくれた。一の酉、二の酉、参の酉と間口が広いのもいかにも江戸っ子らしいユルサなのが嬉しい。
戦争中も敗戦の年も「お酉さま」だけは開かれていたという故事にならい、不況をかこつ岸田内閣もおとりさまの熊手に頼った方が生き返るのではないだろうか。
春を待つ ことのはじめや 酉の市 宝井其角
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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