僕が生まれ育ったのは、本郷西片町だ。
樋口一葉が胸を患い、わずか24才と6ヶ月の命を終えたのも西片町の片隅だった。彼女の短い作家生活のなかで、「奇跡の14ヶ月」と呼ばれている西片での暮らしに想いは飛ぶ。僕は文筆への才能は皆無なので、一葉の14ヶ月に想いを寄せるのは厚かましいのだが、同じ道を歩き、同じ空気に触れ、同じ水を飲んだという思いからまま一葉を思い出す。
ながねん朗読に情熱を燃やしてきた幸田弘子さんが、最後の紀尾井公演に「一葉による一葉」を取り上げた。1977年以来しばしば一葉に没頭してきた彼女の見事な表現で舞台は充たされていた。難解な明治文をいささか伝法な江戸っ子口調と、格調ある話術で一気に読み解いていく見事さがあった。
その最後に「わかれ道」がでた。
一葉の短編のなかで「わかれ道」のお京にいつも惹かれる。
傘やの奉公人16才の吉三は、背の足りなさから一寸法師と綽名され寂しい日々をおくっていた。吉三にとってひとり住まいのお京を訪ねるのがどんなに嬉しかったことか。
いつもお京に甘えていた。お京は甘えを許し、励ましてくれた。吉三にとってお京は生き甲斐だった。
がある日、お京の噂を耳にする。20才のお京がお妾に行くという。
噂は本当ですか、お京は仕方ないのだとさびしく笑い、吉三をはがいじめに抱きしめるが、吉三は振り切って帰ろうとする…
そんな短い話だが、角兵衛獅子から一寸法師になった16才の少年と、20才あまりでお妾さんにいく薄幸のお京の純愛がひしと伝わってくる。
一葉の「わかれ道」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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