子供のころの楽しみに四月一日エイブリルフールがあった。
カレンダーのどこにも書いてないのだが、それは啓蟄より、立春よりも心躍る一日だった。
親は勿論のこと、先生にも先輩にも絶対服従の時代に、自由に人を騙してもいい、嘘のお正月ときいては興奮せざるをえない。今年は誰をはめようか、誰に嘘をつこうかと思案した。
「先生、校長先生が探してました」美しくグラマラスな先生を見事に引っ掛けた。先生はあわてて廊下を走っていった。クラス一同クスクスと成功を喜びあい、なかには先生のお尻の走るさまなど形態模写するお調子ものもいた。戻ってきた先生はなにごともなかったのごとく授業をすすめ、首謀者ともくされる悪餓鬼二人につぎの休み時間に職員室に来るよう命じた。クラス全員に肩を押されて、でていった二人は帰ってくるなり、ハメラレターと悔しがった。「あら、あなた達呼んだ覚えないわよ」以来、その美しき先生は標的から、はずされた。
諸説あるなかで、1564年シャルル9世が、グレゴリオ暦を採用し、4月1日から1月1日に新年を移したことへの反発から、4月1日を嘘の新年として嘘つき公認の習俗が広がったというのが、とても興味深い。いまでもパリでは Poisson D’Avril ポアソン・ダブリル 馬鹿な魚といって、あの子が君に惚れてるよ、と嘘を囁き、気ずかれないように背中に魚の切り抜きなど貼り付けて楽しむ。
1990年4月1日、博報堂が、…史上最低の遊園地 豊島園。 という大広告を打ち、面白いとばかり観客が押し寄せたあたりが、さいごのエイブリルフールかもしれない。
最近では、想定外が当たり前になり、みな用心深くなった。大津波も地震も原発もみんな洒落にならない。消費税10%あげたら、手厚い年金が待っている、とは誰も信じていない。世間は四六時中嘘だらけ、いつでもどこでもエイプリルフールになってしまった。
情報社会はまさに エブリタイム・エブリデイ・万愚節・嘘だらけ なのだ。
一年中エイブリルフール
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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