ガルニエのオペラ座の前にたつと、オスマンのパリの凄さにおそわれる。パリ大改造のシンボルとして建てられたこの劇場には圧倒的なドラマがあり、それ自体スペクタルなのだ。何度パリに足を運んでも、ガルニエの夜を通過しないと、なにか忘れ物をしてきたような気分になる。
バスティーユのオペラ座もモダンで巨大なスケールをほこっているが、そこにある時間は我々現代人にとって日常そのもので、非日常の劇場の贅沢を味わわせてくれない。
ガルニエのファサードを見上げて、中央のモーツアルトからベートーベン、オベール、ロッシーニと胸像を追いかけていると、いつのまにか非日常の豊穣な気分で大理石の館に招待される。
典型的な古典バレエ、ドリーブとミンクスによるLa SOURCE 泉をみた。どうせ古典バレエの見本のような作品だからとあまり期待せずに席についた。
まず驚いたのはエリック・ラフの装置、細い太い長い短いあらゆる表情のロープに、コブを作り房飾りをつけ巻きつけ、束ね、引っ張り、垂らし、と二、三千本はあろうかというロープワークで見事にお約束の泉の森、遠い山道、宮殿のすへてを表現している。それは舞台美術であると同時にモダンアートにもなっていた。
そしてクリスチャン・ラクロアによる衣裳、泉の精ナイラはロマンティツク・チュチュのしたにレギンスをはかされてしまった。初演以来プリマの脚の事故に見舞われ続けたこの作品への魔除けかもしれない。淡い夢のようなパステルに彩られたコールド・バレエ、そこにあるのは21世紀の色相であり、パリのファッションになっていた。
サン・レオン、バランシンと受け継がれてきた振付はジャン・ギョーム・バールとなって、古典のお約束のそこかしこに今風なわさびをきかせ、バレエ愛好家の心を読み切った職人芸そのものの振付。古典のリダクションはこうすればいいよといった21世紀バレエへの再生を成しとげていた。こういう作品を見せられると古典バレエも捨てたものではない、イメージ次第だよとあらためて教えられた。
ロマンティツク・バレエの再生
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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