巴里に沢山ある小さな美術館のなかでは、ロダン美術館とピカソ美術館が好きだ。
なかでもロダンが晩年を過ごした館がそのまま美術館になっている。そこに足を踏み入れるとロダンの日常がそのまま体験でき、庭木一本までロダンの息ずかいがみてとれる。
初めてロダン美術館を訪れた55年前、二階の一部屋に入って金縛りにあった。
そこにはロダンの作った手だけが、集められていた。
ロダンの「手」は、口や顔いじょうに物を言い、肉体をも無用の長物にしていた。
憂鬱、苦悩、諦観、絶望、希望、愛欲、歓喜、……あらゆる人間の感情を見事なまでに「手」に集約し表現していた。
それまで全身像や胸像はたくさんみてきたが、手という部分像に心ひかれたのは初めての体験だった。
それから時間ができるとセーヌ川をわたって、いく度かロダンの館を訪れた。
その手の多くは愛人カミーユ・クローデルの手であったと聞くに及んで、興味はカミーユに及んだ。
アトリエにカミーユが現れた時、あまりの美しさにロダンは言葉を失い、モデルになってくれと懇願をかさねたと伝えられている。二人は愛を重ね、ロダンの名作「接吻」が生まれた。
カミーユは4たび妊娠し、3度の堕胎といちどの流産を経て、少女ジャンヌとも呼ばれている「小さな女城主」を完成した。創造の逆説といわれたこの作品は、カミーユ・クローデルのロダンに捧げた真実といわれている。
ロダンは手の彫刻家といわれ、ヴェルレーヌは手の詩人といわれて、パリジェンヌの信仰になっている。
ロダンの手に愛をみた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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