カメラを手にして70年がたった。
中学二年生の頃、友人に誘われて奥多摩への撮影旅行が初体験。友人は仲良しのセーラー服を連れてきた。モデルという言い方になじめず、ただ胸のたかなりだけが、記憶の底に残っている。
高校になって、先輩からテーマを持てと命令された。
テーマを持たずにいくら撮影しても上達しないというのだ。その先輩は「女性」がテーマだった。女をとると光の重要さに気が付くというのだ。女性の曲線は光なくしては表現できない、という先輩の発言は遠いオトギバナシに聞こえた。
「まつり」をテーマに選んだのは、なまなましさがなかったからかもしれない。当時「夕鶴」で反響を呼んでいた 木下順二という民話作家に会い、自然風土と暮らしについて教えられたのも大きかった。戦争に負けた日本人は、そのコンプレックスの裏返しで、アメリカ現代文明にばかり眼がいって自分たちの財産たる自然風土精神風土を忘れつつある。いまこそ歴史に埋もれつつある風土の所産に眼を向けなければならないと、本郷東大前の薄暗い喫茶店で説かれた。
軽井沢に住むようになって、信濃の500にのぼる祭りを撮影して歩いた。
一冊は「祝祭のいろ」一冊は「軽井沢のほん」として出版された。並行してブータンを撮ったり、祇園町をとったり、「戯れせんとや」ヌードを撮ったこともあった。
1960年のムーラン・ルージュから最近のモンマルトル紀行まで、撮りためてあったので昨年「巴里いまむかし」と題した写真展を、銀座ギャラリー・ストーンで開いた。
そこからルーブルでの ART SHOPPING 2015 に繋がった。大部分が油絵で写真はごく僅かだった。
ルーブル美術館の学芸員からは「あなたの写真は、ひどくフランス的だ。」と評され、サザビー創業家のトム・ウィルソン氏からは「水彩画のように見える写真が好きだ」と評された。
ルーブルのART SHOPPING 2015 まで
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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