ル・コントのチュイルが食べたい

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 六本木のミッドタウンで、懐かしい菓子に出会った。
 アーモンド・チュイル…湾曲したフランスせん餅にアーモンド・スライスがへばりついた、紅茶によく合う薄いドライなお菓子だ。六本木で発見したチュイルは、代官山のダリオルール製となっていた。日本のせん餅のような田舎臭さはなく、洗練された甘さが如何にもフランス人の手にかかって、デリケートなドライ菓子になっている。
 ジョルジュ・サンクのパティシエがホテル・オークラに来るというので、お菓子好き達は興奮した。東京オリンピックの前の年、オークラのフレンチ・レストラン ベル・エポックは欧風カブレで予約が簡単には取れなかった。アンドレ・ルコントは、ケネディ家やイランのバーレビ国王からも重用されているフランス有数のシェフ・パティシエだった。
 五年後、オークラを辞した彼は、戦後日本のスイーツブームの草分け、六本木に伝説の店ル・コントをつくった。いわば日本で初めてのサロン・ド・テであった。
 その店は当時の星野演出事務所から、走れば1分の処にあった。入口のケーキ類の並んだショーケースのフロアから一段降りてサロン・ド・テがある。
 午前中に売り切れてしまう、アーモンド・クロアッサンが大好きで、秘書はいつもクロアッサンを二つ、モーニングティに添えて用意してくれていた。そしてル・コントのもうひとつのマイブームが、チュイルだった。午後のティブレイクは、チュイルの二、三枚とダージリン、かなりはまっていた。
 すっかり忘れていたチュイルに出会い、いまル・コントは、と探したら2010年9月26日15時閉店と知らされた。あれほど沢山いた弟子たちはみなそれぞれの店をもち、だれもあの伝説の店を次ぐ意思をもたなかったというのは、悲しいことだった。アンドレ・ルコント氏の作った歯切れのいいあの「アーモンド・チュイル」を今一度口にしたい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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