ルイ・ヴィトン ガラスの異形美術館

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ルイ・ヴィトン ガラスの異形美術館
 「あなたたちの好みはともかく、今年のHOSHINOさんは絶対連れていくべき。」というスカーレットのママの意見で、ブローニュの入口まで連れていかれた。
 緑の森にあったのは、光のなかに浮かぶ3600枚のガラスの巨大な浮遊物、昨年の秋にオープンしたルイ・ヴィトンの美術館だった。何処までも続くブローニュのみどりに、ガラスの地球外建造物が侵入してきたといった風情、美術館の建設にかかわる費用のすべては、ルイ・ビィトンが負担したといわれている。
 設計者は、かのグッケンハイム美術館の設計で名をなしたフランク・ゲーりー、ウォルト・ディズニーのコンサート・ホールやシドニー工科大学の設計もしたが、いずれも悪趣味の代表といわれ、それまでの建築常識をくつがえしたが、非常識の建物と揶揄されてきた設計家である。
 ルイ・ビィトンとフランク・ゲイリーというユダヤ人同士のきずなから生まれた珍奇な建築物なのだ。
 軽井沢にも千住博美術館という作品のためよりも、建築家自身のために建てられた美術館があるが、どうもファッションや教材やといった異業種のひとたちが、儲かったのでつくるという美術館にはどこか胡散臭さがつきまとう。
 パリの左岸にあるカルチェ財団の美術館なども、総ガラス張りのお洒落な建物だが、真面目な芸術家たちからは敬遠されている。あんなところに作品を並べたらたちまちに退色し腐ってしまうと言うのだ。だからタケシのおもちゃ箱をひっくりかえしたような展覧会しかできないのだ、という解説がつく。
 ルイ・ヴィトンの美術館も、外側からみて30ユーロ、中をみたければ5ユーロ、といった料金にしたらという皮肉にさらされている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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