リスの根性・マンハッタンと軽井沢

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 30年程前、ニューヨーク・マンハッタン島の北端にある公園、フォート・トライオン・パークを訪れたことがあった。
 観光客はほとんど行かない静かなハドソン川を見下ろす丘にあったその公園には、メトロポリタン美術館の別館が、中世ヨーロッパの大修道院を模したクロイスターズのなかにあった。その教会では度々コンサートが催されていた。
 現在ワシントン・チャンバー・オーケストラの指揮をしている三本雅俊さんに誘われ、ブロードウェイ観劇をやすんでの半日行だった。そこはニューヨークとは思えないほど静悉な自然にかこまれていた。
 クロイスターが開く前の早朝、広い庭のあちこちにリスが遊んでいた。フォート・トライオンのリス達は驚くほど人間に慣れていて近かずいても逃げない。僕らの歩みに合わせて横を走っていくといった風情だつた。
 本来リスという動物はとても警戒心が強く、人間には馴染まない動物ときいていたので、あのマンハッタンに住み着きながら人間を警戒しないリスの存在に驚いた。
 その頃、軽井沢の我が家にも毎朝リスがやつてきた。いつしかリスのくる雑木の棚にクルミをおいておくのが日課になった。軽井沢のリス達はこちらの姿を見るや否やクルミを抱えて姿を消す。彼らの好物たるクルミを毎日おいてくれるご主人様への敬意がまったくない。
 マンハッタンのリスに比べ、なんと根性の腐っていることか。
 向かいの森に何軒かの別荘が建つにおよび、いつしか薄情なリス達の姿も見なくなってしまった。何処かの森に住まいを移し、人間に愛情を持つことなく人のくれるクルミだけを信じ、人間を疑って暮らしているのだろう。
 リスは身に危険が迫った時、自ら尻尾を切り落として逃げるときいた。そしてその尻尾は二度と生まれ変わらない、そんな自虐的な一生を送っている。 尻尾を失ったリスは、カワイイという魅力も永遠に失うのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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