とうとうラーメン屋に冬の季節がやってきた、と言われている。
戦後日本の食の歴史をひも解いてみたら、「ラーメン」の勃興と猖獗がいちばんの話題だろう。
食べるものがなにもなかった焼け跡に、小さな暖簾をだして商売を始めたのが「ラーメン屋」だった。
「支那そば」と呼ばれた素朴な屋台のそばから進化して、大陸帰りの兵隊さんが、中華料理風な味付けに寄せて餃子とコンビにして商売を始めた。さらに炒飯を加え、わんたんが加わり、焼きそばが加わって、町中華の体裁がととのった。
本格中華、北京、広東、上海、四川などに伝わる中国料理とはまったく異なる、日本ならではのストリート・フーズとして進化してきた。
いちはやくブランド化したのは北海道、ラーメンは札幌でというのが、夏休みの貧乏旅行の学生たちのあいだで流行った。夏の学生の旅は北海道一周無銭旅行、トラックに乗せて貰ったり、駅のベンチで寝たり、広大な北海道に平和の有難さとロマンを感じ、最後に札幌でラーメンをたべるというのが、定番だつた。少し潤沢な学生はサッポビール園のジンギスカン、そして仕上げはクラーク先生の銅像とともに記念写真をとって内地へ帰って来る。
新婚旅行は熱海か宮崎の時代、芸能人の週末がハワイなどというのは夢のまた夢だった。
バブルがはじけると共に、猛烈な勢いで日本中にラーメン屋が増殖した。始めは全国各地名を冠したご当地ラーメンだったが、そのうちそれぞれ名人上手の名前だったり、○○系と称するラーメンが跋扈してなにを食べたらいいのか判らない戦国時代となった。果てはラーメン博物館と称したラーメン長屋だったり、空港ターミナルのラーメン市場だったり、膨張を尽くした。
奢れるもの久しからず……食材費の高騰、光熱費の高騰、人件費の高騰、に襲われ、今ラーメンのビジネス・モデルが倒れようとしている。
働く人々のための昼飯、ささやかな家族の団欒、いわゆる庶民派の500円クラスがやっていけない。1000円クラスにするには人がいない。3000円クラスの高級店に鞍替えするには資本がない。1000円の壁をやぶって生き残れるか、どうかの瀬戸際にたつのが、730円のラーメン屋であると、商工新聞が危機を伝えている。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す