ラグビーの異常人気

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 高校最後の冬、体操の時間に突然ラグビー場に集まれという指令がでた。
 まだラガー・シャツもなく、半袖シャツと短パン、シューズはラグビーの部室に先輩たちが履いた履き古しがあるので、その中から適当に選んで履いてこい、という指令だった。
 これから初めてで最後のラグビーをやる。ラグビーはイギリスのラクビー校やイートン校で始まったスポーツだから、そのつもりでやるように。よく判らなかったが、スクラムの組み方と遮二無二ボールを抱いて走れ、と言われたこと、前にボールを投げてはいかんと教えられた。
 スポーツは大嫌いだったが、その日は妙に気分爽快で風の鳴るのも心地よかった。FWをつとめるほどの逞しさにはかけていたが、すべてを経験しろという命令でまずスクラムを組まされた。奥歯がなるほど押せと気合をいれられたが、奥歯どころか前歯もならなかった。がこの時初めて組んだスクラムは、高校生活のなかで最高の思い出、みんなで組んだスクラムが級友という響きと一体化して忘れ難い思い出になった。偶然にボールが飛んできて無茶苦茶に走ったのもいい経験になり、やればできるかもしれないという無意味な自信につながった。
 いまラグビーが異常に盛り上がっている。ついこの間まで野球しか見なかった女友逹が、男と男がぶつかるあの瞬間がたまらない、興奮するわ、とはしゃいでいる。
 ラグビー協会はこの人気をテコになんとかラグビーをプロスポーツにしたいと目論んでいる。が専用スタジアムは日本に三つしかない。熊谷、花園、釜石、この三つだけではとても国民スポーツにはならない。サッカー・スタディオに頭を下げてなんとか融通していただけないでしょうか、というしかないが、はたしてプライドの高いラグビー関係者にそれができるかどうか。大英帝国にはじまったスポーツだけにその辺りが難しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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