フランスには、20000か所のラウンド・アバウトがあるそうだ。毎年600か所ずつ増えている。
引き比べ長野では飯田市東和町にひとつ、軽井沢にひとつ、まあ申し訳程度の試みが実態である。
ラウンドアバウトには信号はない。まんなかの中央島さえあれば、三本以上の道路を接続するには大変に
好都合な交通システムである。
凱旋門を中心にしたパリのシャルル・ド・ゴール広場は、13本の道路をつなぐラウンド・アバウトになっている。シャンゼリゼーの終わりにあるロンポアンも七本の道路を結んだラウンド・アバウトだ。
大量の自動車交通量に対し、ひとつの信号もなしに捌いているのだから、こんなに楽で経済的な交通システムはない。
今回の撮影行ではノルマンディをあちこちと走ったが、ヴェール・レ・ローズなど、信号は全くみあたらず
遭遇するのはすべてラウンド・アバウト、いつたいこの村にはいくつのラウンド・アバウトがあるのかと思った。
ひとつの交差点に交わる道路に自動車、人間それぞれの倍の信号を設置し、そのメンテナンスをし続けるのは、よほどお金持ちの自治体か、信号業者のたくらみではないか、と言われてもあながちウソではない。
ラウンド・アバウトの中央島には、その土地の恩人や、著名な出身者の銅像、あるいは素敵な御花畑、あるところではラウンド・アバウト発明の父ハネペンを持ったロンサールの大きな手が飾られていた。
彼等は高速道路の照明灯も止めてしまった。インターのまわりだけ遠くからでも認識しやすいように照明がついている。あとはご自分の車にライトが付いているのだから、どうぞご自分の照明で走ってくれ、という訳だ。
国家予算にとっての、消費電力経費はものすごく節約されたと、きいた。
ラウンド・アバウトと政治家のモラル
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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