ファッション業界では、第二次大戦後、ディオールが始めたのが、所謂ライセンス・ビジネスの始まりとされている。 ヨーロッパでは、あまり他国のデザインに興味はなく、みなそれぞれのトラディショナルな製品で満足していた。 アジア、アフリカ、の後進国にとって、あるいは先進国のなかでもっとも野暮とされているアメリカにとってフランスのデザインは、至高のものだったのだろう。
敗戦国の貧しい日本では、当然の如くに「食」の次は「衣服」だった。カルダン、サンローラン、ディオールと次々に日本に招かれ、女性たちを相手にファッションを語った。
あの頃、ドレスメーカー女学院の勢いはすごかった。全国津々浦々にドレメ連鎖校ができ、女子の憧れ男子の憧れは、共にドレメだった。慶応ボーイの彼女はドレメと決まっていた。上智、青山の女子よりは、ドレメの生徒が圧倒的にもてたのだ。
そうした風潮のなかで、横山町の生地問屋の先見の明あるところが、次々とライセンス・ビジネスにのりだした。
典型的なのが「カルダンのハンカチーフ」だった。それまでこつこつと日本のハンカチを創っていた小さなメーカーが、フランス名前のご利益に気がついた。かくてデパートの店頭には、海外の有名デザイナーの名がついたハンカチが並ぶようになった。ディオール、カルダン、ジパンシー、サンローラン、クレージュと、フランス人が本国にないハンカチの洪水におどろいた。
お葬式のお返しはカルダンのタオル、ハンカチが定番となり、カルダンは日本の葬式を知っているのかと不思議におもった。
バーバリーのレインコートを長い間作ってきた三陽商会が、このほどライセンス契約を打ち切られ騒ぎになっているが、戦後60数年たって、日本のデザイナーも育っている。日本発の優れたバーバリーを、創ればいいだけのことだ。もうそろそろパリ・ブランドから卒業してもいいだろう。
ライセンスからの卒業
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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