ユネスコ事務局長イリナ・ボコバの野望

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 南京大虐殺の「世界記憶遺産登録」以来、あちこちでユネスコへの不信が渦巻いている。
 このことは今夏北京で盛大に催された抗日戦勝記念行事のさいの国連潘事務総長とイリナ・ボコバユネスコ事務局長の行動から充分想定出来たことといわれている。
 欧米先進諸国が揃って出席を拒否したなかで、潘事務総長とイリナ・ボコバ事務局長はどうどうと出席をした。公正であるべき国連が、ユネスコが、というがそれは幻想であって、第二次世界大戦時における戦勝国の組織こそが、国連であり、ユネスコなのだ。公正、中立は建前にすぎません、といわれている。
 ブルガリア共産党幹部の家庭に育ったボコバ事務局長は、来年末にひかえた国連事務総長選挙に関心があり、東欧初の国連事務総長として選出されることにすべての行動が集約されているとさえいわれている。
 南京大虐殺を外交カードとして利用したい中国と、事務総長選出にあたって中国が拒否権を発動しないことの交換条件として、南京事件が裏取引されたのではないかと、ささやかれている。
 この話は国連の内外に流れ、日本は負け犬の遠吠え、とさえ揶揄されている。
イリナ・ボコバ氏が、国連事務総長になれば、ますます中国との癒着は進み、日本はさらに苦しい立場に追い込まれることだろう。
 登録された11種類の南京大虐殺文書はもはや手の届かないところへ行ってしまったので、せめてアメリカ並みに拠出分担金の拒否位はあってしかるべきだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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