ひさしぶりにウィーン交響楽団のニューイャー・コンサートを聴いた。
楽友協会ホールでのこのコンサートは、毎年全ヨーロツパへ同時中継されるので、軽井沢で聴いていてもパリできいていても、新しい年を迎える気分は同じに等しい。深紅と白のバラに飾られた楽友協会とヴェルデベール宮殿の優雅な贅沢に囲まれた3時間のシアワセが充ちていた。
今年の主役はなんといってもマリスヤンソンスに尽きる。濃いグレー、ピークド・ラペルのタキシードをきたこの指揮者は、ユダヤの伊達男といった風情で、ウィーン・フィルという世界でも一二を競う頑固なオーケストラを自家薬篭のものとして指揮をしていた。ここぞと思うアクセントの強いところはしっかりと棒を振り、躍動感を保ちながら、オケにまかすところははっきりとまかせて棒をふらない。オーケストラと遊んでいるといった感じで、オケへの信頼感が100%おもてにでて大人のワルツ、ポルカをきかせてくれた。すぐる年小沢征爾の振ったウィーンは、現地ではワルツ知らずと不評を極めたが、(日本では不思議なことにCDが爆発的に売れた。)その対極にヤンソンスの指揮はあった。
ウィーンの森を愛し、ウィーンの街を愛し、ウインナ・ワルツを愛するヤンソンスの心が、ホモゲーンなウィーン・フィルの音色にのって、透明感のある輪郭のしっかりした演奏を生んでいた。
コンサートの第二部では、テレビ上のみで毎年ウィーン国立バレエ団が出演するのだが、これがいただけない。ボンバナの振付でとNHKはいれこんでいたが、農民色のオレンジをまとったバレリーナが宮殿の空気にあわず、マスケラをとったりつけたりのブラインド・バレエはしらけるばかり。写実的な演劇的表現は折角のワルツを殺していた。クリムトのガウンから飛び出した接吻のアダジオも、たいしたことなく近年評判の高いというウィーン国立バレエ団の古さを証明していた。
音楽の抽象性と演劇の写実性はまったく別ものだということにスタッフは気がつかねばならない。とくに祝典的な色彩の強いニューイャー・コンサートに於いてはなおさらのことである。
ヤンソンスのウィーン・フィルを聴く
コメント
1件のフィードバック
-
あけましておめでとうございます!
旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。
ウィーンフィル私も拝見しました!
雑感ですが、「ここぞと思うアクセントの強いところはしっかりと棒を振り、躍動感を保ちながら、オケにまかすところははっきりとまかせて棒をふらない。」等毎年、演出が楽しみですね、そういえば観客の手拍子を指揮していた年もありました!
そしてもう一つ気になるのが、お花ですね!白百合をクローズアップして世界中継する真意がわかりませんが、そうしたかったと言う事ですね。特に、日本で販売されている生花と違って、雄しべをそのまま残した姿の百合が自然のままで美しかった。
もう一つ気になったのが、舞台前縁に並べられた生花に混じって、緑色の球体的植物が規則的に配置されていたことです。ウィーン的フラワーアレンジメントも、異国文化的で楽しかったです。
多分ニューイヤーコンサートは、演奏自体よりも、建物や雰囲気を楽しむものだと認識しています。箱の大きさも地元的というか、昔のままなのがなんとも楽しいです。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す