ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う

by

in

ヤマザキ・ビスケットの成功を祝う
 ヤマザキ・ナビスコがヤマザキ・ビスケットになって大成功を収めている。
 ナビスコの製法が如何に劣っていたか、ということをヤマザキビスケットが証明してくれた。なんでもかんでも舶来がいいというものではない。ライセンス契約でつくっていたものはさっさと契約を破棄して日本のスタッフにゆだねたほうがいい、という典型的な実例をしめしてくれた。
 ヤマザキビスケッは美味しい。いろいろな種類がつくられているが、筆者のベストテンはビスケットのレモンパックだ。事務所では久しぶりにこれが必須アイテムになった。ケーキやチョコレートばかりで、ビスケットを軽蔑していた風潮に風穴をあけた。
 ヤマザキのことだから、全国津々浦々、火の見櫓のとなりの村の菓子屋にまで置くだろうから、このビスケットで、国中のビスケットレベルがあがることだろう。
 ビスケットにはチーズサンド、抹茶サンド、バタークッキー、ラングドシャといろいろあるが、レモンパックの品のいい甘さが大好きだ。クラッカーのルヴァン、ルヴァンクラシカルももちろん美味い。この美味さを知ると、いままでのナビスコは何だったかと思う。
 ヤマザキの伝説は、戦後の日本にあって信じられないファクトに彩どられている。市川の駅前にあったちいさな飯島パン屋が、ヤマザキ製パン所になったいきさつは戦後の美徳そのものだった。配給の粉をもっていけば、いくらでもパンにしてくれた駅前のパン屋にどれだけの人が助けられたことか。そのパン屋さんを助けてくれたのがヤマザキさんだった。
 そんなことからヤマザキの小売店は、他ではまねのできない精神的絆で結ばれている。
 世界最高の品質をめざすため、パンの発酵種であるルヴァン種を始めてクラッカーに使い、それ故に「ルヴァン」となずけられたこのビスケットが、いつか世界の菓子を席巻してくれるであろうことを信んじている。
 沢口靖子も、木村佳乃も、吉本美憂も、予定調和の笑顔ではない眞心の響く演技でコマーシャルしてほしい。  類型的な笑顔では消費者の心は動かない。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ