ヤバイ!という若者たち

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 ヤバイ!という感嘆詞が若者たちのあいだで、やたら使われている。
 会いたくない人にたまたま会ってしまった。ヤバイ! その程度の使われ方は前からあったような気がする。翻訳すれば困った位の軽いヤバイ!だろう。
 09のシヨップに何人かの女の子が入ってきた。しっかりした身体つきの子が、ヤバイ!と大声を発した。てっきり巡回の先生か、警察官でもいるのかとあたりを見回したが、それらしき人はいない。どうやら気にいった服があったらしい。自分の趣味に合い過ぎて、買わなければならないので、ヤバイ!と発したようだ。そこには店の空気も、仲間との関係もいっさい存在しない。ただ自分のなかに服の存在だけがあって、コミュニティの意識も皆無だし、言葉の選択という知性もない。
 まさにヤバイ時代になった。遠い処のお茶がヤバイ。ミルクも牛肉もヤバイ。新米もヤバイかもしれないから、古米が売れている。秋の味覚まつたけは勿論ヤバイ。リンゴを一日二個皮ごとたべるとリンゴのペクチンがセシウムを連れ出してくれる。つまりウンコやオシッコをいっぱい出せばヤバクないらしい。それにしても菅直人って総理大臣ヤバイよね。ハラハラと泣く通産大臣もヤバイし、セシウムさんもヤバイし、ふくしまのゲンパツは本当に超ヤバイ。
 うちの彼氏近頃ヤバイよ。無職、プータローでやばいのかと理解したらそうではなかった。キスがやたらに巧くなってヤバイという。感じすぎるからヤバイというのだそうだ。性交渉のさなか、登りつめたら、ヤバイ!ヤバイ!とわめくのが、いまどきの女の子とあっては、もはや文学の対象には成りうべくもない。情景描写にはマンガしかない。
 言葉は意味を失い、デジタルな記号としてのヤバイ!が、独り歩きしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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