日本の言葉には言霊がやどっている。
それ故、質屋を「七つ屋」、擂鉢を「当たり鉢」、するめは「あたりめ」と言い換えてきた。
鴨川のほとりには「十三屋」という櫛屋がある。櫛は九と四で足して「十三屋」なのだ。
結婚式で、使用禁止は切る、去る、終わる、など縁起でもないので「お色直し」「鏡開き」「お開き」となる。
江戸の頃、元吉原のあたりには矢を放って遊ぶ「的屋」が出来た。的屋は「矢場」といい、矢場女はときに枕も売ったので度々八丁堀の手入れにあった。そこから「ヤバい」「ヤバいよ」という隠語が生まれた。つまり「ヤバイヨ」「ヤバいよ」は裏社会に生まれ、悪い遊びをするときの用心やら、性病への暗示の隠語だったのだ。
やがて言霊は表社会に引っ張り出された。裏社会は表社会に開放されたことになつた。
テレビではお買い物のカワイイ少女二人が「これ、ヤバクね?」「超~ヤバいよ」。感嘆詞となって登場している。
電動バイクで旅をしている人気者は「ヤバいよ。ヤバいよ!」を連呼しながら街道筋をぶっとばしている。
日本古来の言霊は対応の仕方がわからず、混乱して彷徨っていることだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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