モンマルトルの丘を歩き回るのは相当にきつい。何世紀かの歳月を耐えてきた石畳の道、石はデコボコになり、足元がつねにぶれる。よほど足首がしっかりしていないとグネッテしまうのだ。それでも歩きたくなるので、パリ行きにはいつも石畳専用のスニーカーを持って行く。
昔はサクレクールの丘の階段登り競争があったり、素朴な登山ケーブルがあって、のどかなモンマルトル共和国だった。
夕方になるとルピツクの坂道には、露天の市場がでて肉でも野菜でもチーズでもワインでもパンでもなんでも売っていて、日々の買い物は総て間にあった。
昔ながらのムーラン・ドラ・ギャレットの風車のしたには、初めてのテレビ・スタジオが作られ、唄やショー番組を収録していた。ムーラン・ルージュにいた当時には何度かこのスタジオに通ってRTFの番組を作ったこともある。グレコもモンタンもこのスタディオで収録していた。
すぐ側にはパリ最古の小さな映画館もあり、麓にはシャノアール黒猫と言う名のキャバレー発祥の名店もあった。
そんなモンマルトルの丘を、いまお伽の国の小さな列車が走り回っている。タクシーの拾えない時、あるいは楽してモンマルトルの観光をしたいときはじつに便利な乗り物だ。
「プチトラン」と呼ばれるこの線路のない電車に乗れば、サティの家からモンマルトル美術館、市内唯一の葡萄畑、シャンソニエのラパン・アジル、ゴッホの家、アメリの働いていたレ・ドウ・ムーラン、そしてムーラン・ルージュまで、みなこのプチトランから見れる。
パリ市はこの電車を走らせることで、モンマルトルの丘すべてをを遊園地のような観光エリアにしてしまった。テルトルの広場の横からでて、ブロンシェの広場、クリシーの広場を周って帰ってくる。
モンマルトルを巡る大人のためのお伽電車
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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