モンマルトルの散歩道

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 いつも散歩はブロンシェの広場から始まった。
 回転木馬と手回しオルガンの何時もいた広場は、喧噪の広場にかわってしまったが、ムーラン・ルージュだけは、昔のままの表情を保っている。
 すぐ左へ曲がってルピックの坂道をたどる。夕方には青空市場がでて、野菜、魚、パン、ワイン、豚の鼻などがずらりと並んでいた昔が懐かしい。近所の小父さんたちは、水より安いワインを飲んで何時も口喧嘩をしていた。まもなく左に映画アメリで有名になったカフェ レ・ドゥ・ムーラン、いまでは観光客が後を絶たない。向いのチーズ屋やら果物やを冷やかしながら、遠くにムーラン・ド・ラ・ギャレットを望み、左折すると間もなくゴッホの家がある。狂った芸術家の暮らしを偲ぶ。
 その日の気分でクランクに直進することもある。スタディオ28、パリでいちばん古い小さな映画館の上映予定を覗く。日本ならとっくに経営難で閉鎖というのが当たり前だが、いっこうにその気配もなく続いているのが不思議だ。
 まもなく丘の上の風車ムーラン・ド・ラ・ギャレットにぶつかる。
 右へなだらかな坂をたどると、ラデの風車の前にでる。風車の下は今はレストランになっているが、テレビが始まった頃、ここがラジオ・テレビジョン・フランセーズのショウ収録ホールになっていた。毎回ホリゾントの風景をこつこつと描いていた彼らの仕事ぶりに驚きながら収録していた。
 ここからは、マルセル・エイメの壁抜け男のいる路地から、天井の低いサティの家の前をたどり、モンマルトルの田舎やと呼ばれているベルリオーズの家を横眼に葡萄畑にでる。
 10月の第二土曜には収穫祭が開かれ、民族衣装のパレードがある。収穫された葡萄は区役所の酒倉で仕込まれワインになる、というのが嬉しい。眼のまえには、ユトリロやピカソも通ったシャンソニエ オ・ラパン・アジルがある。角の小さな広場のベンチが散歩道の終点だつた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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