この秋、枯葉の舞うモンマルトルのロケハンにかかわった。玩具の電車のようなプチ・トラムが走り、タクシーが行きかう表通りから、一歩裏の道や横の道にはいり、ユトリロのモンマルトルや、ロートレックのパリを探して歩いた。
去年の七月はホーキンスのウォーキング・シューズを履いて渡仏したのだが、パリの石畳の頑固さに負け、左右の脚の人差指の爪を死なせてしまった。軽井沢では快適なホーキンスの靴が、どうしてもあの石畳にはかてなかった。考えをめぐらし、ことしは銀座ヨシノヤのウォーキング・シューズにしてみた。ゴム底の上は軽い皮で作られた黒のスリッポン、これならトールダルジャンにも、オペラにもいける。一か月のパリ滞在中、すべてヨシノヤですごした。さすが銀座のヨシノヤは凄い。あの石畳にすこしも負けなかった。
それでも一日中、石畳の坂道を昇り降りしていると、足は棒になる。頼りない短い脚が悲鳴を上げる。その時飛び込むのが、五つ星ホテル・スクリーブのうえにある Keirao Spa 。そこにフランス・エステシャン国家資格、国際スパセラピスト資格をもつ心優しいYukiさんがいる。去年キヨシ先生の話題で盛り上がったあのセラピストである。パリで働く日本人女性の多くにみられるオリエンタル趣味のファッショニスタではない、とても清潔で健康な印象のレディだ。今年も彼女に電話をして救助信号をだした。すこし早めに来て、ハマムやジャグジーで身体を温めろという。ボディ・ゴマージュ、マッサージで充分にケアしてくれた。その上少し美人になっている。聞けば彼と結婚したという。ツメという彼がキヨシ先生を尊敬している。三人で食事をしようというということになり、フブサントノーレに向かって歩いていて、眼にはいったのが、鰻の野田岩、うなぎは油ののっていないさっぱり系のうなぎだったが、天然ものでも鰻には油がのっていないとさびしい。
モンマルトルのロケハン
コメント
1件のフィードバック
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まだそこにハマってるの?って今鼻で笑ったそこの君!!ばかにしたらいけないよ!W大晦日の夜何かが始まるんだって!何が始まるんだろ?ワクワクだよね
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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