軽井沢の南、発地という田園地帯につぎつぎと新しいレストランが出来ている。
美味いものは大歓迎なので、できたという情報に接すると、食い意地もいやしく早々に客となる。
かって塩沢の入口近くの民家で、釜戸焚きのメシをうりものにしたレストランがあった。商業建築の安普請よりは民家のほうがましと思い、釜戸焚きのメシを目当てに足を向けた。メシはそこそこだったが、味噌汁の不味さに驚いた。そのうえ味噌汁の椀が安っぽいプラスティックだつたことに落胆し、そのレストランから遠ざかった。
あのメシやが発地の大通りに立派な民家風をつくったという噂だった。
あの時から味噌汁も反省して美味くなり、繁盛のすえの新築開店と合点して、スタッフとともに店を訪れた。
田園風景のなかの新築の佇まいは、魅力的な民家レストランに見えた。座敷に上がり、メニューをひらいた。目の前に広がるホタルの里、ご飯は釜戸炊き自慢のとろろ御膳と、福見鶏御膳を頼んだ。主菜はそれぞれにとろろと福見鳥だから、さぞやと期待したが、副菜の煮ものよりも少なく貧弱な鳥と、出汁でのばしたとろろをさらにお湯でのばしたような情けないとろろ汁がでてきた。
器は民芸風な趣味のいいうつわを揃えているのだが、汁椀は相変わらずのプラスティック、食器の揃え方が出鱈目なのにはあきれた。その上ひどかったのは、肝心のメシが不味かったこと。「さとうのごはん」のチンにも劣る、メシさえ美味ければ玉子ひとつあれば食べられるのだが、これにはびっくり。煮物はうすい出汁で煮ているが、煮込みが中途半端でこれまた味が滲みてない。
数日前、やはり発地に開店した食堂にいったが、ここもまたメシの不味さに辟易としたのだが、どうも軽井沢では美味いメシにありつくのは至難の業のようだ。
その土地の民度と食のレベルは平行するといわれるが、中山道の宿場から今日を迎えた軽井沢は、食に関してはかなり恥ずかしいレベルだということを再認識した。 宿場時代の軽井沢は「飯盛り女」の色香で食べさせていたのかもしれない。
メシの味より「飯盛り女」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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