ムーラン・ルージュの中国人

by

in

 パリにはふたつの大きなキャバレーがある。キャバレーといっても日本で考えるような女性のサービスつきの飲食娯楽施設ではない。華やかなレビューを主役にしたミュージック・ホールだ。
 ひとつはシャンゼリゼーにあるリド…こちらは昔からインターナショナルな趣味で観客を喜ばせてきた。踊り子もイギリスの田舎から連れてきた大型の女性中心。そしてもうひとつがモンマルトルにある赤い風車のムーラン・ルージュ…パリの下町娘いわゆる少しこがたのパリジェンヌを中心にしたトラディショナルなレビュー、カンカンが売り物になっていた。
 ルノアールの昔から下町の踊り場として愛されてきたムーランは、わずかクラシックなレビューの形をたもっている。オーナーが変わったためすっかり観光客向きのレビューになってはいるのだが、それでもパリの名物になっいる。
 そこに大挙押しかけているのが、中国人の団体客だ。かっての日本人がそうであったように、とにかく五月蝿い。ムーランの後ろの方の客席は毎夜中国人に占拠されている。シャンパン付の食事をした後、ショウが始まるまでの30分ほど話に花が咲きすぎて、ワイワイガヤガヤ農耕民族どくとくの大声でホール中を喧騒が支配する。ついこの間までのJALパツクもこうだったなぁと、来し方を振り返る。
 ショーが始まる。ボーイズのあとにヌードが登場するとややざわつく。トップレスの踊り子が10人ずつ上下から出てくる。豪華な羽根飾りをしょつてトップレスがラインナップした辺りから空気が変わってくる。さらに20人、30人とどんどんトップレスの踊り手が登場すると、中国人たちは小さくなり空気が固まる。見たことのない情景に水をうったような客席になる。カルチャー・ショックなのだろう。ショウを楽しむゆとりを失い、じっと小さくなって舞台をみつめている。欧米人が陽気にやんやと楽しんでいるにもかかわらず、遥か遠くから来た中国人の席は冷え切って固まる。終演後,帰途についた彼らの静かなこと、後姿が小さく見えてどこか悲しげであった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ