パリに三つの丘がある。
一つは芸術家の丘ともいわれているモンマルトルの丘、二つ目は下町の丘ビュット・ショーモンの丘、
そして三つめの丘が労働者の丘と呼ばれているビュツト・オ・カイユの丘である。
度々のパリ滞在にもかかわらずビュツト・オ・カイユの丘には足を踏み入れたことがなかった。
1871年労働者政権パリ・コミューンがヴェルサイユ政府軍と戦った最後の砦だったことから、労働者の丘といわれるようになつた。そこには中世労働者の生活様式が残っているというので、空の重いいまにも雨になりそうな朝出掛けた。
タクシーで降ろされたのは、1920年代に作られたアールヌーボー様式のプールの前だった。そのプールはいまだに使われていて、夏は行列が絶えない市民プールになっている。
ビュット・オ・カイユではロード・アートが面白いときいていたので、広場の果物やの親爺にきいたが、そんなもの知らないという。 茫然としてふと斜め前をみたら化粧品やの壁にミスティックの絵があった。ミスティックの切り絵っぽい絵には、洒落たメッセージの言葉遊びがついていてなんとも楽しい。
通りにそって見ていくと、ミスティックだけではなく何人ものストリート・アートが次々とあり、近頃のアメリカンな悪戯書きとはだいぶ違う町並だった。アパートもオスマンのパリではない、ひとまわり素朴で小さい建物がつづいている。アルザス風あり、ロシア風あり。
18世紀後半に世界で始めて気球船が作られたのが、この丘だというので、何気ない雑貨やにも夢を乗せた気球船のミニチュアが、売られている。
何故か心の和むビュット・オ・カイユだった。
ミスティックの絵と気球船と
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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