マーラー第三交響曲をバレエ化したノイマイヤーの凄腕

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 21世紀に見たバレエ作品でこんなに感動した舞台はない。
 劇場はオペラ・バスティーユ、バレエはもっぱらガルニエ宮で上演されるのだが、作品のスケールの大きさからバスティーユが使われた。あの広い舞台空間に大道具はひとつもない。照明もモノトーンの控えめなプランだったが、それで十分満足した。最小限の衣装というのは、いっさいの装飾を排してバレリーナの肉体を尊重した人間存在だけがテーマのタイツ乃至ベアトップだけだ。。
 英国のロイヤル・バレエを出たのち、シュトゥットガルトバレエ団、フランクフルトバレエ団の芸術監督を務めてきた振付のノイマイヤーは、このマーラー第三交響曲へ絶対的な信仰をもっていたに違いない。
 マーラーが当初付けていた表題にかなりのこだわりがあった。「パンの目覚め」「夏が行進してくる」から始まって「野原の花々が語る」「森の動物たちが語る」「夜が語る」「天使が語る」「愛が語る」難解の6楽章100分を見事にオペラを超えたバレエとして振付けた。
 まず神によって人間が造られた。人間という肉体への賛美。考える知性への賛美。花や動物、木々と人間の対話、調和、そして夜という闇のもたらすもの、天使の語りかけ、そして人間だけに許された愛の行為、…モダンバレエの表現に肉体と知性の総てを投入した哲学的造形に満ちた作品だつた。
 肉体をキャンパスに自然と地球のすべてを表現した傑作は、ポンピドーセンターでみる現代アートのそれに似ていた。ノイマイヤーの人となりは知らないが、美意識の塊の哲学者と感じた。
 ノイマイヤーに答えたパリ・オペラ座バレエ団の美しさとテクニツクも、充分満足し酔わされたバスティユの一夜だった。
 ノイマイヤーは思想の深さと造形感覚でベジャールを超えた、といったら言い過ぎだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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