マルセルさんとの出逢い

by

in , ,

堀井更科-2.jpg
 今年最後のミーティングは何処に? となれば、当然「蕎麦に限る」。
 淡路町の松やにしようか、神田の藪も捨てがたい、いっそのこと麻布十番は「堀井更科」でということになった。
 御無沙汰のうちに十番の景色も随分かわっていた。豆源はビルになったし、角には成城石井もある。中ほどに堂々たるディーン&デルーカがあり、京都鼓月もある。
 看板の立派さは入口の永坂更科と出口の堀井更科だ。年末ともなれば立て込んだ店内に蛤そばと牡蠣そばがめだっている。が、堀井更科にきてさらしなを頂かないわけにはいかない。柚子を練り込んだ更科の繊細さに多いに満足した。
 帰りに石寺さんからクラブ・ハリエのバームクーヘンとファロのマスタードをいただいた。
 帰途なにげなく拾ったタクシーに奇跡がおきた。タクシーはジャパン・タクシー、ドライバーは外人だった。登録証の名前をみるとナントカカントカ・マルセルとある。
 マルセルさんはイタリアの方ですか。いいえ僕はフランス人です。……ノルマンディの生まれです。実は二年前ノルマンディを歩きました。あっちこち行きましたけど、オンフルールや、連合軍の上陸した海岸や…でも一番好きなのはイズニーのチーズやバターです。
 彼は飛び上がって喜んだ。僕の生まれ故郷です。ファロのピノノワールのマスタードも今もっています。故郷の食べ物のはなしに彼はすっかり喜んでアッという間の東京駅だった。メルシー! フランス訛りのフランス語に送り出されて新幹線にのった。
 東京でただ一人のフランス人ドライバーにめぐり会う、こんな奇跡もたまにあるのだ、と人の縁に考えさせられた。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ