マリア・カラスの衰えと謎の死、…世紀の歌姫といわれたマリア・カラスは、謎の多い女性だった。60年のパリにいた僕は、恐らくカラス最後のガルニエ・オペラでのトスカを聞いている。ギリシャ人そのもののような彫りの深い骨格から絞り出される「歌に生き、恋に生き」に酔いしれた。お腹のなかにサナダ虫を飼ってダイエットしたという伝説はすでに人々の口にのぼっていたが、その心理表現の素晴らしさは最高のdivaであるよりは女優そのものだった。ギリシャの海運王オナシスをなかにして、ケネディ大統領未亡人ジャッキーとマリア・カラスの三角関係は有名だったが、53歳の若さで、心臓発作で死んだという事実には疑惑がつきまとっている。死後下着まで競売にかけられ、遺産のすべてをピアニストに横領された謎の死には毒殺説がたえず噂されている。ペールラシェーズの墓は悲しいことに、アパート式合同墓地の地下二階にある30センチ四方ほどで、これがあの歌姫の墓とは到底信じられない。ケネディ一族とオナシスに係わる人々の不幸な死に方はカラスにおいても地下組織との因縁を感ぜずにはいられない。生前の彼女の希望により、遺骨の半分はエーゲ海に散骨されたのが、せめてもの供養だったかもしれない。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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