マツコ・デラックスという存在

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 年末年始の様々なトーク番組の中で圧倒的に面白かったのは、マツコ・デラックスの出演している番組だった。
 マツコに限らずオカマ系のタレントは沢山いるのだが、皆作り物めいた無理が目立つて、嫌な気分になる。無理に化粧したり、無理に女言葉を使ったり、、無理に女になったり、それは夜の酒場ならいいが、テレビにでてきてもらっては困ります、というのが多すぎる。
 マツコにはそれがない。当然あの巨体だから女装するにしても大変だ。ときに安っぽいワンピースを着て登場することもあるが、ミッツマングローブほど気にならない。化粧もしているが、ふっくらとしすぎた顔にチークや口紅を塗っても、さほど下品にならないのはなぜだろう、太り方に品があるのかもしれない。
 細木数子をして、「あんた本当に肌がきれいね。色は白いし…」と言わしめたあたりに原因はあるのかもしれない。
 極めつけは頭の良さだ。批評しても怒りつけても、率直で影がないところが、皆に愛される所以だし、決してあとにひかない潔良さがある。
 女装タレントでありながら、コラムニストであり、エッセイストであり、時に批評家にもなる鋭さをもっている。ゲイではあるがより中性に近いと自覚している女装した男、という立ち位置を明快にもち、生殖機能はあるものの、無理な計画までたてて女性に子供を生んでもらうつもりのない男性器がついているアタシ、という認識も小気味いい。
 ゲイ雑誌の編集者をやり、土木作業員をやり、ファミレスのバイトもし、ゲイバーのやとわれマダムもしたというが、すべてが肥やしになっている。 あの木村拓哉と高校の同級生というのも興味深い。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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