マツコとマツコロイドが暗示するもの

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マツコとマツコロイドが暗示するもの
 「マツコとマツコ」という番組を見て、感無量だった。
 生身のマツコとアンドロイドのマツコが向かい合って当惑したり、共感したりのただのバラェティではあったが、アンドロイドの存在が通用する時代になった。
 マツコのアンドロイドに対して、マツコはいろいろと思うところありと見受けたが、制作側は単純に面白い、似せてつくっている技術で思考停止、後は余りのソックリさんぶりにあぁビックリしたとか、触らせてという、オバカなファンにアピールしたところで終わっていた。
 半世紀前、安倍公房と創ったドラマでは、アンドロイドの完成によって起こる、人間の堕落と消滅をテーマにした。
 アンドロイド製作の技術が飛躍的に進んだ結果、当然の如く流通業界が眼をつけた。一番先に眼を付けたのは、伊勢丹だった。新宿伊勢丹の八階には、アンドロイドの特別お誂え室が設けられた。
 働くことを知らないお金持ちのバカ息子は、母親に連れられてお誂え室にやってくる。採寸は少々面倒くさい。究極の外見とひとつひとつの毛穴までデーターをとり、声の録音と脳波の測定で注文完了。数回の仮縫いを経て、ようやく納品となる。
 アンドロイドを手に入れたオバカは早速に仕事をアンドロイドまかせにし、本人はもっぱらお遊びにでかけた。激しい女遊びで日程重複のさいは、アンドロイドに代行させた。
 そのうち何処へ行ってもアンドロイドでなければ話が通ぜず、いつか本人は絶望の末自殺に追い込まれる。
なにごともなかったように、今日もアンドロイドは新宿二丁目で、夜ごとドンペリを傾けるのであった。
 マツコロイドはいつかマツコを滅ぼさなければならない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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