ソチ・オリンピックを見るとがっかりする。
マスコミごっこの激しかった選手ほど、だらしない。テレビのあっち側になるんだね、そんな芸能人のような神経で勝てる訳がない。へらへらと笑いながらインタビューに応じ、楽しかったですとはなにごとだ。
選手にとって開会式は魔物といわれている。何時間もまたされあげくのパレードで体調をくずす選手が多く、競技が翌日の選手は開会式を避けてきた。旗をふってパレードしたい気持ちもわかるが世界の一流選手は開会式にはでない。開会式に出て風邪をひいて競技にはでられなかった。冗談だろと言いたい。
上村愛子の負けたけど清々しい、勝ってなんぼの競技のために、税金を使っているのに感違いもはなはだしい。17歳の高梨沙羅にしても、肝心の競技にベスト・コンデションを持ってこれなかった。マスコミへの生い立ち情報だけは、十二分だったが、本番は駄目だった。
モーグルの伊藤みきは、医者から止められていたにも拘らず、強引の参加の果てに、リハで怪我をして出場できず。マスコミはそれを美談仕立てにしてニュースを垂れ流す、松岡の予定調和まるだしのインタビューでは、スポーツ選手とはみなこの程度かとがっかりする。
かって巨人軍は、哲のカーテンでマスコミを拒否、それが常勝巨人を作った。勇気ある鬼コーチがでて、意識改革をしなければ、日本のスポーツは堕落の坂を転げ落ちる。
マスコミに足をひっぱられるオリンピック選手たち
コメント
1件のフィードバック
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私も、今回の大会は、マスコミの情報を遮断して、ニュース番組は、見ないようにして、競技も極力音声を消して観戦しました!
結果、余計な解説がない方が、選手の必死さがより多くコチラに伝わって来たと思ってます。
事前情報なしで、名場面は見落としたかも知れませんが、競技の緊張感は味わえた大会だと思ってます。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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