マキシムとソニーの落日

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マキシムとソニーの落日
 1960年代後半から70年代にかけて、グルメを自認する若者や社長さん族は銀座の角のソニービルの地下に足を運んだ。そこにパリの名店マキシム・ド・パリ東京店があったからだ。
 パリの本店を忠実に再現したアールヌーボー様式のレストランは、にわかグルメにとって憧れの空間だったし、紳士淑女のデートを演出するのに夢のレストランであった。
 君はマキシムを知っているか。マキシムで食事をしたことがあるか、というのは、遊び人たちの踏絵であった。
 マキシムで開かれるパーティに招待されたので、タキシードを作らねばと英国屋に駆け込んだ友人もいた。 マキシムに連れていくガールフレンドはイブニングを着こなせる娘でなければなかった。社長さんたちは、きもの姿のママと連れだってマキシムで食事をし、同伴で店に顔を出した。
 あのマキシム・ド・パリがとうとう店を閉めることになった。フランス料理もヌーベルバーグの時代になり、重い伝統的なソースが喜ばれなくなった。より軽いカジュアルなソースの時代になったのだ。
 折からソニーの不調が伝えられ、果たしてソニーは立ち直ることができるか、と話題になっている。
 創業者の盛田昭夫がこだわつて招致したマキシムが、いま終焉を迎えようとしている。
 電気と料理の間になんの因果もないように思うが、原発事故のごとくどこか地下水脈で繋がっているのかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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